半年や1年で治る精神病は、病ではない
うつ病とは
生活すべてに対して気力の無い状態となる。
お風呂には入れない。入る気力はない。
楽しかった趣味は、いっときも楽しくない。楽しむ気力はない。
だから、治療を必要とする。
現在の精神医学では、抗うつ剤による薬物治療と、認知行動療法の2つのアプローチを用いる。
半年で社会復帰は薬効を認められない
私は30年にわたり、精神発作含む病と共に生きている。
ADHDは確定診断を出されており、幼少を振り返っても、そうだとしか言えない。
令和元年9月、かかりつけ医に、とある疑問を投げかけた。
「精神病で半年や、1年で社会復帰していける方は、薬物療法の効果だといえますか?」
すると、医師は苦笑い。
「そうですね。実際は薬を飲まなくても治ったといえますね。確実に効果は有ったとは、言えません」
生半可な精神病を作る精神医学会
私はADHDであった。
故に小・中学生と、イジメの嵐である。同級生と先生からだ。
味方はいない。しかし、親に心配はかけられない。
なので、必死に耐えた。
今では、ADHDの小児は薬物療法を行い、専属の特別養護教師もつく。
おかげ様で、教育機関は大忙しである。
私の時代は、先生に殴られて当然であった。なので怪我にならない程度に殴られたものだ。ひどいときは木の立派な机を蹴られ、勢いで滑った机で足のスネを強打するというのもあった。
不思議なことに、校内一番のワルには生徒指導教諭は手を出さない。
人格障害の認知を広めたい
環境保護者のグレタ・トゥーンベリは、16歳にして、国連の環境会議にて、各国の首脳に恨み節を披露した。
ひと目で人格障害と分かる。
しかし、それを真っ先に指摘した新聞は大きな非難をされた。
本人はアスペルガーと云っている。皮肉なものだ。
中学生から「地球温暖化」に怯えて、不安から精神を病み、不登校。
そして今、16歳で学校へ行かず、環境保護に傾倒。
学校は全てではない。しかし、未来の不安のためにエネルギーを使う事に意味はあるのだろうか?
問題は、このように社会的不適応な人物を、国連でスピーチさせたバックボーンである。協調は得られるはずはなく、議論の場で怒りの形相を披露されると、もはや茶番である。
結果として、アスペルガー障害(を含む人格障害)に対して、偏見を助長する出来事になってしまった。
人格障害は世に必要である
精神を病み、事を成した人物は多い。カート・コバーン、チャーチル、ガーシュウィン、ゴッホ、アインシュタイン(てんかん持ちとされるが、真相は不明)中島らも、
一般的に障碍とされる精神疾患。
しかし、生み出すものは天下一品である。
イタリアの犯罪心理学者チューザレ・ロンブローゾは、自著「天才論」の中で「天才は狂気だ」と語った。
和訳のある本であるが、1930年と古く、私は見たことはない。
精神の苦しみは狂気だ。しかし、だからこそ物事に狂気的になれるといえる。
まずは日本から変えるべき
などとは、全く云うつもりはない。
比較的罹患者の多い「アスペルガー障害、注意欠陥多動性障害、 境界性人格障害」
と、一般人は共感できる部分は少なく、お互いの歩み寄りは不可欠である。
ただ、社会の比率で「人格障害はお断り、理解しない、知りたくない」と、妙にこだわって生きるヒトは多すぎる。
無意識のレベルで「あの方に興味はない」と決めているので、絶対に歩み寄れない。
学ぶ気はないのである。
ヒトは好奇心の塊であり、少しでも興味を持てば、しっかり学ぶのである。
しかし、心理的な障壁で「学ばない」と決めれば、迷いなく無視をする。
この壁を壊せるのは己だけである。
一般常識のように「キ○ガイには関わるな」
という文化の浸透した日本では、なかなか難しい問題だ。
と、言おうものなら、相手を不快にさせるだけである。何しろ相手は「知りたくない」と高い壁の向こうにいる。
せめて、建設的な意見や私にしか見えない世界を文章として書き。心に響いていただければ幸いである。