仕事復帰まで時間がない
そ
のために、2日連続でカフェに来て、ゆるい時間をすごし、仕事のリアリティも追求してきた。
しかし、精神不安定の期間が長く周期が短い。つまり、終始恐怖とともに生活している。
今日は日曜日。調整日最後なのに、発狂寸前といった具合でうごきに潤滑を感じない。
敵
のいるような場所ではないから、かなりの安心をしてすごして良いのに、自らの内面に描写される悪魔に不安をかきたてられている。
デパスは、1mgでは、まったく効かない。4mgでなんとか「思考の整理」が正される具合だ。
こ
のような「大きな恐怖を感じる」といった欠陥の持ち主が、素晴らしい職場で、任務をこなせるのだろうか?自身はない。
スタバは、調子の良いときは、何時でもいられるリラックススポットになる。
なのに、今は…
悲しい瞬間的現実である。
自分の感覚が狂ったのを、環境、時代、他人、運命のせいにしたくない。全ては私にあるのだ。
だから、出口や解決策さえ、自ずと分かるのだ。時の流れによって、全て証明される。
肝
心なのは、恐怖で人格が変わるほどであっても諦めないこと。
これは、ほとんど諦めているのだが、人格が変わるなど、耐えれるはずはない。
あきらめて、あきらめないということである。
道があり、居場所があるのなら、そこで暮らして見ようじゃないか。自分はいなくとも。
霊魂は居てくれる。彼らに任せよう。
私は頑張ったのだ。もう責めるのはやめよう。あきらめよう。
時に任せ。自己の認知外のことであれ大歓迎だ。どうなってしまっても、いいのだ。
あきらめよう。
タイピングは脳に良い
タイピングは脳に良い。
そう考えるキッカケなったのは、キーボードの特徴にある。
通常の日常動作は右手ばかり使う。
お金を扱うのも右手、文字を書くのも右手。
右手社会だから当然だ。
けれど、私は左利きだ。
お金は左手で扱う。自販機や自動改札機の使いにくいこと。腹ただしい。
文字や食事は右手。他は左手なのだ。
タッチタイピングは左手の動作がとても多い。
だから自己流で右手の動作を多くしているヒトもいる。
私の主治医も面白い自己流タイピングで、左手の動きが全くなくて、見ていて面白い。
私の場合は普段、両利きのような生活だから「左手バリバリ使えて楽しい」といった状態。
タイピングによって脳の血流がくるくると回っている感じだ。
作家(ライター)などは、この理不尽なキーボードの配列を嫌って、右利き用キーボードを愛用している変わりものもいる。
というか右利きキーボードが変態だ。
もっと左利きにやさしい世界を望む。あとは、極めてレアなので、存在自体を褒めてほしい。
シーソーゲームを聴きながら
永いこと鬱に苦しめられている。
過去形で表現できない部分はしゃくだが仕方ない。
本日は早期覚醒からの、げきうつ状態、さらに偏頭痛と強烈な(普通の頭痛)
人生ドロップアウトしたくなる苦痛具合である。
片頭痛薬、頭痛薬、精神安定剤と症状別に頓服を飲む。
それで良くなるかというと、
マシになる程度で動くのは非常に苦しいから、この文章を書くのも必死である。
他にも仕事がくっそ忙しいときに、強烈な吐き気がしたこともある。
大切な面接のときに、大量の発汗(緊張時に現れる症状)で話のネタになり、結果、面接は落ちるわ。
とにかく、体調不良、うつに交わる話は大量である。すべて失敗談とはいわないけれど。
すべての影響に精神不安定(特大)のものが付いてくる。
大量の発汗をして、緊張し、錯乱しているから普通を保つのは、凄まじいエネルギーと集中力を必要とする。
だから、ここぞというときの集中力は、苦しみを分かり会える多くの方は持っているはずだ。
迫りくる希死念慮、躁うつ病との戦いは終わらない
特に何もすることがない
最近の大問題。
午前中は意識を削り取られるほどの発作で動けない。
その後は余韻をずっと残しづつける。
この余韻はいつまでも残る。なので非常に厄介で、結局は午後に睡眠薬で落とすことになる。
午後に眠ると、寝付きが悪くなるので、夜に眠るときにも睡眠薬に頼ってしまう。
なんだかおかしくはないか。おかしいだろう。
最近はおかしいなという感覚を、強めに感じるようになった。
クリエイティブに動けば、気分は多少マシになるかと感じたが、そうでもない。
ただ、クリエイティブという意義を自分に当てはめて、どういった行為はクリエイティブになるのか、見極める必要がある。
1000文字/1日 を目安にブログを再開して、活動から病の良化を狙うというのもある。
少なくとも、何かを文章化するというのはクリエイティブと感じる。ひらめいた。
こういうひらめきを大事にしていきたい。
タスクスケジューラを用いて、プロジェクト分別の部類から、調子の良い、普通、鬱の分割をして、いろいろとやることを詰めていってはどうか。
やはり事前に行路を、モヤのない視野で立てておき、それに従って行動したほうがうまくいくだろう。
なんせ自分には、普通のヒトの行うタスクスケジューラは役に立たない。
そして、これをやっておけば健康で楽しい。
というものを見つけなければ。
健康で楽しいコトは、自分にとっては、ありえないものだ。
と考えたけれど、瞑想があった。毎日、宇宙の光を浴びていれば、苦しみも諦められるだろう。
ここまで書いて250文字程度だから、毎日1000文字のエントリーを書くのは相当難しい。
破産宣告
宣告というものではないのだけれど、破産をするために今、頑張っている。
躁うつ病ほど、破産の似合う病気はないだろう。
なぜそうなるのか
双極性障害では、調子の良いときに計画を立てて、調子の悪いときに実行するという、ハマるととんでもない状態がある。
計画は全て(何もかも)破綻してしまう。
だからお金の動くことに関して、こういった動きをすると、簡単に破産ラインまで赤字を続けることになる。
私の場合は、意識障害と鋭い頭痛の合併する発作が毎日あるので、発作をうけるたびに動けなくなるというのが現実である。
アラフォーになって破産となると、もう返り咲くことはないのかなと感じてしまう。
けれど、今回は良い機会であると捉えることにしている。
何事も裏があるものだ。
破産は表向きは、だらしのないことである。
しかし、そこから見える光もあるのだ。
激鬱な時はコメディー映画を観よう
笑いのチカラ
昔から分かっていた「笑いは鬱憤を粉々に消し去る」笑っているうちは。
つまりは、自分の趣向に合った「コメディー映画」を見れば、笑顔の消えないうちは、正常な精神を保てる。
僕の個人的趣向でコメディを紹介するわけにはいかない。意味は全くないからね。
しかし、現在は多くのコメディが点在する。
だから、探せば微笑みの耐えない楽しい映画、映像、絵画、音楽はきっとある。苦しいときに支えてくれる何かが。
それがどういったコンテンツであれ、ニッコリとした笑顔の出るものは、鬱を一蹴する。
だから例えば、スマホの壁紙でさえ、美しく感動できるものにしておけば、それがトリガーとなって、いつでも心を落ち着かせることさえできる。
ただ、トリガーとして何かで癒やされるためには、しっかりと潜在意識に訴えなければならない。
一番の近道は「自律訓練法」をみにつけることだ。
自律訓練法
自律訓練法、自己催眠療法をみにつけるためには、本を読まなければならない。
活字から学び、それを昇華させて自分のやりやすい暗示や、心の行方を客観的に動かさないと。
オススメの本は、出来る限り古い書籍を読むことだ。
古くて残っている訓練法は、有用な効果を出し続けていると裏付けできるからだ。
新しい本は独自の解釈や、科学的な見解も混じり、混濁したものといえる。
スピリチュアル
自律訓練法は自己を客観的に見る技術である。
とてもアナログであり、今現在のデジタルとは対比の存在といえる。
大げさにいえば、宗教的と解釈できる。
なので、スピリチュアルな心の構えをしっかりとしなければ、無意識に抵抗をしてしまい、飲み込めない。
大事なのは素直になることだ。
素直に、心を落ち着かせて物事を受け入れなければ。
簡単なマインドコントロールは「深呼吸」だ。
深呼吸
わざとらしい深呼吸は、連続すると効果は薄くなる。
落ち着けと言われて落ち着けない、という感じである。
だから、呼吸に集中すればよい。
生きている限り、無意識であっても呼吸は止まらない。
無意識の開放は呼吸にある。
以外かもしれないが、当たり前に存在する身近な「呼吸」
そのパワーは計り知れない。
呼吸をしっかりと受け入れられば、とても大きなチカラになるだろう。