Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

仕事復帰まで時間がない

 

のために、2日連続でカフェに来て、ゆるい時間をすごし、仕事のリアリティも追求してきた。
しかし、精神不安定の期間が長く周期が短い。つまり、終始恐怖とともに生活している。
今日は日曜日。調整日最後なのに、発狂寸前といった具合でうごきに潤滑を感じない。

 

 

のいるような場所ではないから、かなりの安心をしてすごして良いのに、自らの内面に描写される悪魔に不安をかきたてられている。
デパスは、1mgでは、まったく効かない。4mgでなんとか「思考の整理」が正される具合だ。

 

のような「大きな恐怖を感じる」といった欠陥の持ち主が、素晴らしい職場で、任務をこなせるのだろうか?自身はない。

スタバは、調子の良いときは、何時でもいられるリラックススポットになる。
なのに、今は…
悲しい瞬間的現実である。

自分の感覚が狂ったのを、環境、時代、他人、運命のせいにしたくない。全ては私にあるのだ。
だから、出口や解決策さえ、自ずと分かるのだ。時の流れによって、全て証明される。

 

心なのは、恐怖で人格が変わるほどであっても諦めないこと。
これは、ほとんど諦めているのだが、人格が変わるなど、耐えれるはずはない。
あきらめて、あきらめないということである。
道があり、居場所があるのなら、そこで暮らして見ようじゃないか。自分はいなくとも。
霊魂は居てくれる。彼らに任せよう。
私は頑張ったのだ。もう責めるのはやめよう。あきらめよう。
時に任せ。自己の認知外のことであれ大歓迎だ。どうなってしまっても、いいのだ。
あきらめよう。

タイピングは脳に良い

タイピングは脳に良い。
そう考えるキッカケなったのは、キーボードの特徴にある。
通常の日常動作は右手ばかり使う。
お金を扱うのも右手、文字を書くのも右手。
右手社会だから当然だ。

けれど、私は左利きだ。
お金は左手で扱う。自販機や自動改札機の使いにくいこと。腹ただしい。
文字や食事は右手。他は左手なのだ。

タッチタイピングは左手の動作がとても多い。
だから自己流で右手の動作を多くしているヒトもいる。
私の主治医も面白い自己流タイピングで、左手の動きが全くなくて、見ていて面白い。

私の場合は普段、両利きのような生活だから「左手バリバリ使えて楽しい」といった状態。
タイピングによって脳の血流がくるくると回っている感じだ。

作家(ライター)などは、この理不尽なキーボードの配列を嫌って、右利き用キーボードを愛用している変わりものもいる。
というか右利きキーボードが変態だ。

もっと左利きにやさしい世界を望む。あとは、極めてレアなので、存在自体を褒めてほしい。

シーソーゲームを聴きながら

永いこと鬱に苦しめられている。
過去形で表現できない部分はしゃくだが仕方ない。
本日は早期覚醒からの、げきうつ状態、さらに偏頭痛と強烈な(普通の頭痛)
人生ドロップアウトしたくなる苦痛具合である。

片頭痛薬、頭痛薬、精神安定剤と症状別に頓服を飲む。
それで良くなるかというと、
マシになる程度で動くのは非常に苦しいから、この文章を書くのも必死である。

他にも仕事がくっそ忙しいときに、強烈な吐き気がしたこともある。
大切な面接のときに、大量の発汗(緊張時に現れる症状)で話のネタになり、結果、面接は落ちるわ。

とにかく、体調不良、うつに交わる話は大量である。すべて失敗談とはいわないけれど。

すべての影響に精神不安定(特大)のものが付いてくる。
大量の発汗をして、緊張し、錯乱しているから普通を保つのは、凄まじいエネルギーと集中力を必要とする。
だから、ここぞというときの集中力は、苦しみを分かり会える多くの方は持っているはずだ。

 

迫りくる希死念慮、躁うつ病との戦いは終わらない

特に何もすることがない
最近の大問題。
午前中は意識を削り取られるほどの発作で動けない。
その後は余韻をずっと残しづつける。

この余韻はいつまでも残る。なので非常に厄介で、結局は午後に睡眠薬で落とすことになる。
午後に眠ると、寝付きが悪くなるので、夜に眠るときにも睡眠薬に頼ってしまう。

なんだかおかしくはないか。おかしいだろう。
最近はおかしいなという感覚を、強めに感じるようになった。

クリエイティブに動けば、気分は多少マシになるかと感じたが、そうでもない。
ただ、クリエイティブという意義を自分に当てはめて、どういった行為はクリエイティブになるのか、見極める必要がある。

1000文字/1日 を目安にブログを再開して、活動から病の良化を狙うというのもある。
少なくとも、何かを文章化するというのはクリエイティブと感じる。ひらめいた。
こういうひらめきを大事にしていきたい。

タスクスケジューラを用いて、プロジェクト分別の部類から、調子の良い、普通、鬱の分割をして、いろいろとやることを詰めていってはどうか。
やはり事前に行路を、モヤのない視野で立てておき、それに従って行動したほうがうまくいくだろう。
なんせ自分には、普通のヒトの行うタスクスケジューラは役に立たない。

そして、これをやっておけば健康で楽しい。
というものを見つけなければ。
健康で楽しいコトは、自分にとっては、ありえないものだ。
と考えたけれど、瞑想があった。毎日、宇宙の光を浴びていれば、苦しみも諦められるだろう。

ここまで書いて250文字程度だから、毎日1000文字のエントリーを書くのは相当難しい。

破産宣告

宣告というものではないのだけれど、破産をするために今、頑張っている。

躁うつ病ほど、破産の似合う病気はないだろう。

 

なぜそうなるのか

双極性障害では、調子の良いときに計画を立てて、調子の悪いときに実行するという、ハマるととんでもない状態がある。

計画は全て(何もかも)破綻してしまう。

だからお金の動くことに関して、こういった動きをすると、簡単に破産ラインまで赤字を続けることになる。

 

私の場合は、意識障害と鋭い頭痛の合併する発作が毎日あるので、発作をうけるたびに動けなくなるというのが現実である。

 

アラフォーになって破産となると、もう返り咲くことはないのかなと感じてしまう。

けれど、今回は良い機会であると捉えることにしている。

何事も裏があるものだ。

破産は表向きは、だらしのないことである。

しかし、そこから見える光もあるのだ。

激鬱な時はコメディー映画を観よう

笑いのチカラ

昔から分かっていた「笑いは鬱憤を粉々に消し去る」笑っているうちは。

つまりは、自分の趣向に合った「コメディー映画」を見れば、笑顔の消えないうちは、正常な精神を保てる。

 

僕の個人的趣向でコメディを紹介するわけにはいかない。意味は全くないからね。

 

しかし、現在は多くのコメディが点在する。

だから、探せば微笑みの耐えない楽しい映画、映像、絵画、音楽はきっとある。苦しいときに支えてくれる何かが。

 

それがどういったコンテンツであれ、ニッコリとした笑顔の出るものは、鬱を一蹴する。

だから例えば、スマホの壁紙でさえ、美しく感動できるものにしておけば、それがトリガーとなって、いつでも心を落ち着かせることさえできる。

 

ただ、トリガーとして何かで癒やされるためには、しっかりと潜在意識に訴えなければならない。

一番の近道は「自律訓練法」をみにつけることだ。

 

 

自律訓練法

自律訓練法、自己催眠療法をみにつけるためには、本を読まなければならない。

活字から学び、それを昇華させて自分のやりやすい暗示や、心の行方を客観的に動かさないと。

オススメの本は、出来る限り古い書籍を読むことだ。

古くて残っている訓練法は、有用な効果を出し続けていると裏付けできるからだ。

 

新しい本は独自の解釈や、科学的な見解も混じり、混濁したものといえる。

 

スピリチュアル

自律訓練法は自己を客観的に見る技術である。

とてもアナログであり、今現在のデジタルとは対比の存在といえる。

大げさにいえば、宗教的と解釈できる。

鬱病とは精神の病気、または精神疾患といえる。

なので、スピリチュアルな心の構えをしっかりとしなければ、無意識に抵抗をしてしまい、飲み込めない。

大事なのは素直になることだ。

素直に、心を落ち着かせて物事を受け入れなければ。

簡単なマインドコントロールは「深呼吸」だ。

 

深呼吸

わざとらしい深呼吸は、連続すると効果は薄くなる。

落ち着けと言われて落ち着けない、という感じである。

だから、呼吸に集中すればよい。

生きている限り、無意識であっても呼吸は止まらない。

無意識の開放は呼吸にある。

以外かもしれないが、当たり前に存在する身近な「呼吸」

そのパワーは計り知れない。

呼吸をしっかりと受け入れられば、とても大きなチカラになるだろう。

 

永き不調

調子を維持しようと気合は入れている。

しかし、肝心の調子が良くないため、維持する部分を見つけられない事態になった。

 

現在の服薬は

 

意識障害と疼痛を伴う発作のために、日常はいつも賑やかである。

ニコニコと眺められる意識が必要だ。

 

このあたりはペインクリニックのような部分だと感じる。発作はクスリでは消えない。

なので、発作に対しての受け止め方をうまく工夫する必要がある。

とても緊張感のある生活をしているから、弛緩させる術をみにつけなければ。

 

年度替わり、気持ちをGWの辺りには高い安定にもっていきたく感じる。