Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

欠神発作、てんかん、精神混乱を伴う周期的な持病、疾患について(2019/02/18の発作)

23時就寝、5時50分起床

食欲はあまり無く、バウムクーヘンを食べた。間もなく前兆のようなものを感じる。

霜が降りていて、目覚めて紫煙を燻らせつつ、朝日を浴びる。まだ日の出ではなかった。

6時30分家を出発。意識レベルはかなり低い。

6時50分、カフェに着く、タバコをくわえて東へ歩き、直射日光を3分ほど目を閉じ、体で浴びて、概日リズムの良化、朝の運動とした。

7時にカフェで絵を描く。精神混乱はひどい。しかし、絵はスムーズに描けた。アイデアの浮かぶテンポは良好であった。

8時にカフェを退店。

 

8時30分出勤

この時点で意識レベルは無気力以下であり、息をしているのを実感するのみであった。

9時に欠神。10時まで職場で座りながら眠る。

起きて意識レベルは中程度に回復するも、後遺症のために、精神混乱は強く残る。

さらには低下した意識レベルは元に戻ることはない。

思考は遮断されて、会話をするのみ。

何もできない。

 

11時30分に早退

回復の見込みはなく、次の発作は間もなくやってくる(2時間周期)

そのため、意識レベルの低下前に帰る必要を感じ、退勤。

 

12時、食欲なし

野菜ジュースと、どら焼きでビタミンとグルコースを補充。発作が現れる。

意識は気を抜くと飛ぶような状態で、しばらく動けず。瞬間的な欠神(瞬間睡眠)にて、回復方向へ持っていこうとした。というか、意識を保てずに、瞬間睡眠をしていたともいえる。

けれども、悪化の一途を辿る。

 

15時、朦朧状態

おとなしく仮眠をとれば良かったけれど、気力でどこまで意識を保てるか、休みを生かして試す必要を感じた。そのため、頭痛、吐き気、眠気、精神混乱のピークをとうに超えて、理論的思考は不可能であった。

そして、周期的な三度めの発作にあう。極度の脳と精神の疲労の最中であったが、夕方の渋滞を避けるために家へ向かう。車のステレオは最大音量。150デシベル程度の耳鳴りを伴うもの。かなりの音である。

意識の消失を避けるための処置。

ひどいときは幻視を伴い。周囲が真っ赤になったり、青くなったり、モザイクのかかった2次元の映像に見えることもある。幻聴はない。

 

16時20分、帰宅

今にも倒れ込みそうであった。しかし、一応家族へ帰宅の挨拶をして、精神安定剤を服用し眠る。床に入り、15秒で意識は落ちた。

 

19時、目覚める

レム睡眠化にあったのか、家人の足音で目覚める。

夕飯に声をかけて起こして欲しいと頼んでおいたけれど。声をかけると「わかった」と返事をして、起きなかったそうだ。そのやりとりの記憶はない。健忘である。健忘は頻繁に起きる。発作時にである。

夕食を食べて、バルプロ酸を増やし、1000mg飲む。除法剤だ。

 

日が暮れて、発作の周期は収まる

不可思議なことに、太陽の光のない、月光の元では周期的な発作は起きない。

おかげで夜空と星、月には、とりわけ美しさと安心感を感じる。オリオン座は美しい。

 

2時00分、皮肉にも発作のない時間

いつもは23時に眠る。しかし、今日は発作を極限まで耐えたために、概日リズムを崩したらしい。先程、ロヒプノールを2mg服用。

しかし、お分かりのとおり、論理的思考は冴え、文章を書ける確信を感じたので、記録として、インターネットの片隅に綴っておく。

これ以上起きていても、眠っても、明日も必ず発作はある。ただ今日は、起床直後から発作を感じた点には、奇をてらった。

毎朝の絵描きは、唯一の安らいだ時間帯であり。とても大切なものとしている。その時間を苦痛で過ごさなければならなかったのは、残念といえるし、先行きの見える不安として感じた。

そして、現実になった。

 

周期のあるということ

原因不明で治療法のない欠神発作であるが、特徴として「周期」や「症状」といったものを認識できている。

強烈な精神混乱を伴うといった点で、意識は朦朧とし、食欲不振、頭痛、性格の変化、健忘、ミオクローヌス、幻視といった多彩な症状を抑え、制御するのは難しい。

はっきり言ってあきらめている。

ただ、自分にできるのは、状態を記憶し、異常箇所(頭痛は偏頭痛のように局所にあり、全般に及ぶ)といった。細かい自己観察という点である。

治らなければ、それでいい。

治れば、それでいい。

H30年は、群発頭痛と、発作の周期性を発見した。群発頭痛は22年の付き合いだから、分かれるのは寂しく感じている。しかし、よく耐えたものだ。

疑われるのは「てんかん」である。その理論を平常時にできる限り勉強し、自己の病態を重ね合わせ、記録をとり、書類としてまとめて医師の判断を仰ぐ必要を絶対条件としている。

自分は医師ではなく、主観的に病態を評価できる立場ではない。

治らなくてもいい。

ただ、幼少期から永遠と続く自分の苦しみは何であるのか?

好奇心は尽きない。