Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

差別の恐ろしさと、差別を生む精神疾患

まえがき

このブログを書いているのは月曜日だ、土日はヤフオクの発送準備や、キャンプの準備があったりして、忙しかった。
ヤフオクは取り引きがネット上でおこなわれるので、PCの作業が多くなる。
キャンプの準備は完全なアウトドア。苦手な作業だったけれど、なんとか終わらせた。
そんな休日中、僕の主要な時間を占めているのはデジタルデバイスに向かっている時間だった。
常にiPadなりMacBookに触れている。息抜きに読書をしていた。その時間は12時間くらいになるだろう。

Facebookの再開

僕は6月1日の就労とともにFacebookを再開した。それまでは更新頻度がかなり低く、見てるだけのヒトだったのだが、情報を発信しはじめた。
僕はときに「いいね!」が付かない情報を投稿する。MacのソフトやiPhoneのアプリの情報だ。
先日は「PulseというRSSリーダーはいい。Poketとあわせるとヤバイ」という内容を投稿した。iPadアプリの話だ。予想どおり「いいね!」がこない。
僕は、いつまでも芽が出てこない種に水をやるかのごとく、こういった投稿を重ねている。

いいね!を気にしない

この行為は、他のヒトには理解できないものに写っているに違いない。けれど、僕はそこを利用している。デジタルデバイスが好きなのだと、理解してもらおうとしているのだ。
それに、そのうち皆分かってくると思っている。実際にPulseでニュースを見るようにすると効率がメチャクチャいい。いいのもはいいという事実がある。ただ、みんな興味が無いので使おうとしない。
だから、そのうち芽が出てくると思っている。「いいね!」はどうでもよいのである。

躁うつ病には要注意なFacebook

躁うつ病の方々は、Facebookを封印しているヒトが多い。なぜなら、躁のときに過剰にのめりこんでしまうためである。ときに失態もおかす。
その躁で散らかした人間関係の処理にまいってしまう。僕も謎の友人(外国人など)が何人もいる。
鬱になれば、社会性はかなり落ち込む。まさかFacebookで公言するわけにもいかない。
その結果、Facebookは黒歴史になってしまうのだ。
だから、見ることを専門にしている方や、やめてしまったという方も多いと思う。

目に見えない障害

僕はオープンで仕事をしている。いわゆる障害者雇用枠だ。しかし、職場の人間は多くが障害があることを知らない。目に見えないからだ。
僕はオープンで勤めているからといって、わざわざ同僚に病気を打ち明けたりはしない。できるかぎり秘密にしようと思っている。なぜなら、こういった障害は差別を生む。
差別はよくない。

 

精神障害者への差別はある


精神障害者だからという差別はかならずある。とあるブログの作者は、Twitterでブログの更新を「躁うつ病のような記事を書いた」とツイートしていた。どういうことだと記事を見てみると、普通の記事だ。ようするに冗談でそういうことを言っているだけだった。「出来のわるい記事を書いた」と言うのを、「躁うつ病のような記事を書いた」と比喩したのである。
このような調子で、軽々しく躁うつ病がバカにされていた。

差別の怖さ

差別の代表的な例に、人種差別がある。
司馬遼太郎が述べるところでは、太平洋戦争が白人対白人の戦いであったなら、原子爆弾が落とされることがなかったかもしれないと言っている。
黄色人種への差別感から核兵器をためらいなく使用できたというのである。
この話は差別がいかに恐ろしいか実感させてくれる。

目に見えないという共通点


差別は目にみえない。
このあたり、精神病と共通している。
精神病の患者はしばしば、「目に見えなくて分かってもらえず、辛い」という言葉をもらす。
確かに辛い部分はある。しかし、長所もあると思うのだ。

差別されない利点


目に見えないということは「こいつは精神病のキチガイだ」と差別の的になることはない。健常者からしたら、厄介者扱いしたくなるだろうし、精神障害に対して差別が生まれるのは仕方がない。
差別を受けなくて済むという長所にも目を向けるべきだ。

差別を覚悟して語る

僕は躁うつ病だということを死ぬまで喋らないという考えではない。病状が寛解に向かい、安定してきたなら、機会があれは喋ることもあるだろう。
ただ、言えば差別が待っていると覚悟はしている。