Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁うつ病の私。令和を迎えて知っておくべきこと

しばらく、精神とは何かと考えておりました

まず、同じ病気で苦しんでおられる方々へお見舞い申しあげます。 私は小学1年生に精神異常を発症し、現在に至ります。 その時の症状は鮮明に覚えています。 実態のないものに怯え、それ故に他者や社会に強い怒りを感じ続けました。 ある時、感情を抑えられず、下校の最中に傘を振り回し、狂人のように、泣きわめき、内に止めどなく湧き出す不安感に耐えきれず。他者、社会へ対して、非常に攻撃的に暴れまわりました。 親友であった友人は見るに見かねて、制止を試みました。 しかし、狂乱の中にいる私は、大親友ともいえる方へ、傘を振り下げる愚行へ走ったのです。 理性はかすかに残っていましたから、威嚇程度の力加減で「バシッ」と危害を加えてしまいました。

冷静になれば、自分の意思ではないことを子供であっても感じる

親友へ武器を持って襲いかかる。 許されざる行為です。 その後、深く後悔し、私は制御不能な特発的不安を、内面へ閉じ込めることへしました。 具体的に言えば、「怒り」を消したのです。 怒りは、必要な感情です。 しかし、私には精神発作からの「怒り」と、一般的な「怒り」の二つが存在しています。 思春期に「怒り」を見極めることは難しく、ならばいっそ全て抑圧してしまおうと考えました。

その結果は、長い期間のイジメに苦しむことになります。 それも、社会全体からのものです。 学校では先生と生徒から、バイトでは従業員から… と、キリのない世界です。

不快感を感じても、怒らないのですから、何をしても良いと他者は安易に解釈してしまいます。 怒らないことで、仲間外れになるのです。 ですから、徹底的に追い込まれました。私は怒りをコントロールして内に封じ込め続けました。

蓄積された精神的なストレスから、次第に病的になっていく

青年期は、多感です。だから辛くとも楽しいことを見つけ続けて、成長していきました。 喜怒哀楽の抜けた「喜哀楽」のヒトになって生きるのは、難しいけれどやり遂げました。

やっかいなのは、20代半ばくらいになってきて、世の中は思ったより楽しくない。かなり悪人がいる。 と、気付きはじめた頃です。 流石に、仕事場で不満を抑え込むと、失職まっしぐらです。不満の蓄積の限度を超えたとき。さようなら。 そんな繰り返しと、当時は「就職氷河期」 つまり、混沌の極みだった民主党政権下でした。 働く場所はブラック企業か、派遣社員しか選べません。

どちらも、私はやりがいを感じませんでした。生活の重要なウェイトを占める「仕事」に意味を感じないのです。 次第に、食欲は減退し、不眠の日は多くなって行きました。

急激な不安発作、心療内科へ駆け込む

とある夜に、精神が引き裂かれるほどの発作に襲われました。 コトバで表すことは難しいのですが、魂が乗っ取られるような感覚です。 カラダは必死で対抗するので、アレルギー状態のようになり、ますます苦しくなっていきます。 なんとか、発作は収まりました。 しかし「このままでは自我を失ってしまう」と、強く感じます。 ですから「なにかの精神病に罹った」と自覚したのです。 すぐに心療内科を受信しました。