Bipolar Disorder Of Life

躁鬱病(双極性障害)患者が日々を綴ります。連絡はTwitterまで!返事は必ずします。Twitter@hattix0828

鬱から生まれる文章

うつの症状が進行している。
楽しいと思うことがなくなってきた。今日は休みだったのでリフレッシュしようと試みたが、陰鬱な気分が続くだけで、少しもリフレッシュできない。
気分だけ不調ならば、まだいいけれど、心身一体とはよくいったもので身体症状にも不調の波はあらわれる。
僕の場合は眠気と注意散漫、下痢といった症状が目立つ。

楽しいことなら、ある程度の時間はやり続けることができる。しかし、それは普通の状態の話だ。うつ状態だと楽しいことなど何もない。
楽しくもなく、集中力もないので、何も持続してできないという状態になる。

うつの自分を、遠くから正気の自分が見つめている。正気の自分は「何か楽しいこと、有意義なことをしよう」と必死で考える。
ただ、正気の自分はたまにしか出てこない。大抵は1つの自分しかいない。うつで悲しみに暮れている自分だ。
正気の自分はうつの暗闇に一筋の光となって、瞬間的にあらわれる。この出来事があるから、まだ僕は道を迷わずにいられる。

躁うつ病は、躁とうつの状態がある。一見、帳尻合わせでバランスがとれているようにみえる。けれどそんなことはない。躁状態うつ状態、どちらも本人にとっては狂人状態なのだ。
共通している点は、内面のざわつきに惑わされてしまい。異常行動に出るということである。

僕の場合のうつは、見る世界はモノクロになり、耳にとまる音は不協和音になる。感覚の鈍化した状態だ。
そして、悲観的思考が頭をよぎり、ちょっとしたことから悪意を察知する。

例えば、最近は買い物をたくさんしてきた。通常ならば「いいものを買った」と単純に思えばいいし、そう考えるものである。
うつ状態なら違う「資本主義の罠にはまっている。本来ならお金など使わなくてもいいはずだ」と、歪んだ考えになり「自分はバカだ」というように自責の方向へ動いていく。

こうやって、自分のうつ症状を淡々と書いていると落ちつく。文章を書くときは、論理的思考が必要だ。いっときではあるけれど論理的思考に身を任せて、うつの自分を遠くからみつめることができる。だから安心感を感じるのだ。

僕は多くの文を書くうちに、呼吸をするように作文する術を身につけた。だから書くネタがあれば、うつであっても躁であっても論理的思考のもので文を書くことができる。
書いているいまが現実逃避のひとつの手段になっているのだ。自らが奏でるタイピングの音が、癒しのリズムに聞こえる。
ディスプレイを徐々に侵食していく文字を眺めると、きれいな絵画のように見える。

陰鬱なエネルギーから生まれる文章もある。全ての芸術作品にも通ずるだろう。僕はうつのエネルギーを昇華してひとつのトピックにした。
書くという行為を止めたくない。しかし、このあたりが区切りのようだ。
それでは、うつと向き合う世界へ戻るとしよう。