Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

双極Ⅱ型障害について思うこと、「双極Ⅱ型障害という病 改訂版 双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代- 内海 健」の書評(レビュー)

はじめに

「双極Ⅱ型障害という病 改訂版  双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代- 内海 健 」を読み終わった。
この本は全双極Ⅱ型のヒトに読んでいただきたい内容だと思った。
混同状態について書かれた情報としては、おそるべき情報量である。

中古で買うにしても、借りるにしても読む価値はあるし、損ではないだろう。自分をよく知るキッカケになる。

気になった部分を引用しながら、カンタンに書評でも書いていく。

生活リズムの重要性

僕は以前、躁うつ病の寛解に重要なのは睡眠だと書いた。本著ではこのように書かれている。

”最も重要なことは「生活リズムの確立」だろう。できるかぎり早く、睡眠覚醒リズムを整えてもらいたい。先ほど、早い波と混同状態があるかぎりはなかなか回復軌道には乗らないと指摘したが、もう1つ重要なのが、この睡眠覚醒リズムの確立である。これが乱れているうちは、回復はむずかしい。P106”

このあたり、僕の考えと同じのようだ。
僕は6月に勤めにいくまではフリーライターだった。なのでこれといった睡眠リズムが無かった。
なので12時まで眠っていたりと、だらしない生活を送っていた(仕事はあまりしていなかった)

勤めることによる生活リズムの固定化

勤めるようになって、起きる時間が6時か7時に固定化された。自然と就寝時間もそれに合わせたものになる。生活リズムができあがった。
生物の基本である「日中に行動して夜は眠る」という当たりまえの生活だ。1週間ほどでカラダが快方に向かうのを感じた。明らかに快調なのだ。生活リズムの大切さをしみじみと噛みしめた。

他人の心情を深読みしすぎる傾向がある

本には、ヒトの心情を深読みしすぎる傾向があると書かれている。ズバリ当てはまった。ヒトからどう思われているか気になる。
躁うつ病のかたはこの傾向がピッタリ合致するのではないか「そんなのみんな思っている」と考えるかもしれない。
しかし、僕ら躁うつ病の「他人からの印象を気にする具合」は病的なものが多いらしい。僕は病的なんだなと思えるようになった。

他人のことが気になるため、2手3手まで読んでしまい、心が疲労するというのだ。そういった経験は多々あるのではないだろうか。
僕はウンザリするくらいあるし、これからも山のようにそういったことが起きるだろうと感じている。

躁うつのゆらぎとは

本を書いている著者は精神科医であるが(失礼だけれど)双極性障害についてかなりの見識を持たれている。躁うつのゆらぎの表現に

”ふわっと上がってストンと落ちる”

という表現が用いられていて、絶妙だなと感じた。まさに、ふわっと上がって来るのである。そうして落ちるときは奈落の底へストンと落ちる。

躁うつ病の治療は困難である

躁うつ病は治療が困難なことはていねいすぎるほど連続して書かれている。そもそもの躁状態が診断しずらいし、患者が医者にくるときは抑うつ状態のときが多いからだ。しっかりとした問診がなければ従来型のうつ病として治療がなされ、抗鬱剤が処方される。

抗鬱剤は怖い

抗鬱剤が処方されればもう最悪といっていい。なかにはサインバルタなどの抗鬱剤を飲まれているかたもいるけれど、僕は怖くて飲みたいとは思わない。
理由はなんといっても躁転にある。SSRI、SNRIはいともカンタンに躁転をするイメージがある。
僕自身、気分安定剤、非定型抗精神病薬中心の処方に変わるまでは、躁になんども転じた。アモキサン、トレドミン、ルボックス、リフレックス、どれもよく効いた。アモキサンは副作用が強い三環系抗うつ剤(TCA)だ。はっきりとした副作用(口の渇き)を感じたが、そのかわり効きめは強かった。

抗鬱剤を求める躁うつ病患者

非定型抗精神病薬中心の処方にかわり、なんだか浮上しない軽く陰鬱な日々が続くようになった。僕は最初のころはこの暗い気分が嫌で仕方がなく、医師に抗鬱剤を求めたくらいであった。医師は「君の病気には効かないんだよ」といって出すことはなかった。
この「抗うつ薬を求める」という行動は多くの患者にみられる症状のようだ。本の中に症例として記載されていた。

安定ではなく波を求める

フラットであるくらいなら、躁と鬱の繰り返しのほうがいいというヒトもたくさんいるようだ。どちらも納得できるらしい。僕も軽躁だけならばまだいいかなといえなくもない。なんともいいがたい万能感があって幸福な気分だからだ。

オーバードーズについて

精神科医としての立場として素晴らしい一文があった。以下の文になる。


”過量服薬などは、自殺の次に最悪のことである。治療のために処方した薬物を、そのように使われることは、医師として決定的な敗北である。P164”


このように考えられる妥協のない姿勢に尊敬をおぼえる。なぜなら過剰摂取(OD:オーバードーズ)など日常茶飯事であるからだ。僕の精神病のコミュニティでは、なんらめずらしいことではない。起こりえる事例である。
ODはいわば「服薬による自傷行為」である。自傷行為に至る経過としては自分を責めるが故に「自分を傷つけたくなるという衝動」へと発展してしまうからのようだ。これには同意する。
ODはリストカットよりも安易におこなえるため(僕にはそう思う)事例が多いと思う。

OD経験はある

そういう僕はどうか?せいぜいデパスを1日で5mg飲むくらいの過剰摂取の体験があるくらいだ。リタリンを処方されているときも「過剰摂取してハイになろう」という気持ちは湧かなかった。自傷行為の衝動はあまりない。

ODを、医師の視点から「決定的な敗北」として捉えられるのであれば、間違いなく精神医療のプロフェッショナルと呼べるだろう。そういった気概のある医師の治療を受けてみたい。

神出鬼没で多彩、そして領域横断的

双極Ⅱ型障害についての表現方法も要約された濃い文章で表現されていた。

”双極Ⅱ型障害は神出鬼没である。病像は多彩であり、経過は変化に富む。領域横断的で、様々な疾患に接続される。P171”

神出鬼没。的を得た表現だ。僕は自分の感情にいっときの油断も許されないという気持ちがある。
「とても嬉しい」「とても悲しい」という感情のとき「これは病的なものなのか、普通の感覚なのか」という問いがなされる。
このあたりは非常にナイーブなところなので、的確な表現で書かれた文章に、気が晴れるような感覚をうけた。

厄介な混同状態

躁うつ病でもっとも厄介なのが混同状態だ。僕は混同ほど苦しいときはない。本著には以下のように記載されている。

”興奮と抑制、爽快と沈鬱が共存するなどありえないように思われる。ごく自然な考え方である。”

そうなのだ。ありえない。混同状態はありえない。
ありえないことが起きているのだ。混乱して何事も手につかない。しかも、稀に起こることではなく割と頻繁に混同状態になる。
調子が悪いときなどは揺れ動きが顕著である。

寛解へ向けてブログを書く

寛解へ向かった患者が、精神と身体の2つに分けた記録の日記を書いていたという症例があった。僕もブログというかたちで精神状態を書き続けている。
願うならこの患者のように、寛解へと向かっていって欲しい。

本を読んでより理解が深まったとともに、だいたいの病状は把握できているという実感を感じた。

 

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-