コンピューターはミクロからマクロへゲームと共に歩んできた
はじめに
DVDが一般家庭に流行したのはPS2の影響が大きい。
突然なにを言い出したのかと思うかもしれないが、そう思った。
今日は、朝からウィキペディアにかじりついていた。
テレビゲーム史をさかのぼっていた。理由は特にない。
ファミコンのページを見ていたら。なぜか感極まってきて、涙が出てきた。そういうテンションらしい。
最近、感動して泣くことが多い
最近、昔のものに対して感動して泣くことが多い。
こういったことで泣けるものなのかと、自分のことながら感心している。よい感覚を持ったものだ。
いろんなことで感動できれば人生の深みが増す。もちろん、過敏であるがゆえのマイナスなイメージもあるだろう。しかし、いまのところ良い傾向にある。歴史で感動していることは特に悪いことではないだろう。
テレビゲームムーブメント、ファミコン
僕の年齢とファミコンは酷似している。いわば、ファミコン世代である。実際は少しズレていて、はじめて買ったソフトはドラクエⅢと、円熟期のものだ。
ただ、最初のテレビゲームムーブメント、ファミコンというものを生で感じることができたことは幸せに思う。
ファミコンは今振り返ればとんでもなく狭い土俵の上のゲームである。
音源はFM音源でさえなくて、現在のゲームの画像1枚よりも、ひとつの作品の容量が小さいという異常さだ。
ファミコンからプレイステーション2へ
ファミコンからプレイステーション2まで駆け上がっていく勢いというものは素晴らしくて、異様である。ミクロからマクロへなどと、悠長なことはいっていられない。変わりかたがものすごい。とんでもない勢いで進化、変化している。
テレビゲームのことを話すなら、どの時代のものかまず定義しないと話が噛み合わないくらいである。
近年のゲームの進捗は、テクノロジーよりゲームシステムの方が変わってきている。
プレイステーション2くらいまでの進化は、ゲームの表現の多様化としての順当な変化だったけど、最近のゲームの進化は、ゲームシステムががらりと変わったりして、表現の多様化とひとことではいえない。
どちらかというと、予想できない進化の道を辿っている。
XBOXのKinectはコントローラーさえ必要としない。体験したことはないけれど、カンタンには想像ができない遊びである。
オープンワールドゲーム、スカイリム
僕が体験したものだと、スカイリムのようなオープンワールドゲームはかなり画期的だったと思う。2011年に発売されたソフトであるが今でもファンが一定層いるディープなゲームである。僕も何ヶ月かスカイリムの世界に住んでいた。既存のゲームの殻を破ったといえる。そういったゲームにはこれからも触れてみたいと思う。
特に高度なAIが存在するゲームに興味がある。スカイリムでは世界が存在していて、その中で生きているAIがたくさんいる。それによってリアリティーが生まれて、ファンタジーを楽しめるようになっている。
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高度なAIのいるゲームはヒットする
いまのところ、僕の知っている範囲では、手を出したいほど高度なAIが動きまわるといったゲームは存在していない。
けれど、そういったゲームが出るのは時間の問題だ。個性を持ったAIとゲームが融合したら大ヒット間違いないだろう。
今僕がスルメを噛むように、じわじわと遊んでいるゲームはドラゴンエイジインクイジションというオープンワールドゲームだ。2週間に1時間遊ぶかどうかというプレイ時間だけれど、のんびりと「世界を救う」というファンタジーに興じている。