障害者年金
まえがき
今日は通院日なので休みだ。
通常は木曜日が休みなのだが、通院日の週だけは火曜日が休みになる。
朝6時半に目を覚ました。今日も司馬遼太郎の「義経」を朝から読もうと思っていた。
近所のコメダコーヒーが朝7時からオープンしているので、向かった。
アイスコーヒーを頼み席に着く。平日なので4人がけのソファーを選んだ。広い席だとMacBookも置きやすくていい。二人がけの机は横幅が狭すぎる。
障害者年金に支えられていた
司馬遼太郎の「義経」を読みつつ、ふと考えに浸っていた。
障害者年金(以下、年金とする)である。精神障害者にも適応される。ただし、国民年金(厚生年金)を払っていなければ当然もらえない。
僕は年金に多いに助けられてきた。貧乏なライター生活を支えてくれた。
しかし、この年金、支払額が非常に少ないのである。およそ2ヶ月で10万円だ。
(自治体によって支給額が多かったりする場合もあるらしい)
これだけでは生活していくのは困難なのは目に見えている。
障害者年金はカンタンにはもらえない
昔、何かの漫画でこんな話を読んだ。
耳鼻科へ行き、聴力検査を受ける。そしてわざと片耳が聞こえないフリをする。
すると、障害者に該当するらしい。
後は手帳をもらって障害者年金を請求すれば、不正受給のいっちょあがりである。
現実はこんなズルはできないと思いたい。
話を戻そう。障害者年金はただのうつ病ではもらえない。僕も基準は分からない。
ただ躁うつ病は「完治しない」という点から精神障害者とみなされ、年金の受給の審査を申請することができる。審査に落ちればもらうことはできない。
働きたくても働けない精神病患者
世の中を見ていると、かなりの数の「働きたくても病状のために働けないメンヘラ」がいるようにみえる。彼らはTwitterやブログなどで悲痛な叫びを上げている。
僕はこの「働きたくても病状のために働けないメンヘラ」が、困窮してしまい。家族から金銭を借りる姿が目に浮かぶ。必然的に家族との軋轢が生まれる。
健常者はうつ病患者を理解できない
何度もいうようだが、健常者はうつ病患者を理解できない。呆れるくらいにできない。
うつ病で働けないのを当たりまえのように「甘え」と誤解する。
家族でも健常者はあてにならない。
例えば、ウチの両親は理解している素振りはみせるものの、本一つ読んでいないのである。
こういった理解がない親と、困窮したうつ病の子どもの生活は悲惨だ。どんどんとお金のことで家族の仲が悪くなっていく。
お金が関係を壊す
もともと社会的繋がりが少ないメンヘラは、理解のない親と一緒に生活せざるを得ない。
しかも、お金を借りてしまうと、頭が上がらないので「甘えだ」「頑張りが足りない」等といった言葉を吐かれても反論できない。これがさらにうつを悪化させる。こうやって苦しんでいるヒトは多いはずだ。
精神障害者年金はこうあるべき
なので、僕が思うに障害者年金の額を増やすべきだ。
あと、適応の範囲も増やす。
しかし、詐欺には注意が必要だ。審査の書類などは今以上に細分化した項目を用意すべきである。死ぬ死ぬ詐欺も実際に存在する。先に書いた。偽装障害者もいるだろう。
僕が言いたいことは、貧困によるうつの被害を軽減するために、年金を活用できないかということである。
「意味を加えることができればヒトは強くなれる。」
医者は言った。
今日は通院日だった。蒸し暑い日だった。
僕は医者に「暇で書くことしかない職場のストレス発散」の一点のみ質問した。
幸いにも調子がいい。なので、そう伝える。
「調子はよく、眠れない日もロヒプノールを飲めば眠れます。ただひとつ問題があります。仕事がヒマで、文章を書くことしかできず、苦痛です」
すると、
「(書くことができるというのは)大きなチャンスじゃないか、あなたはライターをやっていた。ライターの仕事にまで書く行為を結びつけることができれば、仕事は大変な意味をもつ。意味をもてばヒトは強くなる。」
と、言われ続けざまに、
「あなたは、たまに大きな勘違いをする。馬鹿じゃないかと言いたい」
と述べられた。
なるほど確かに、と素直に受け止めることができた。
僕は仕事の空いている時間に文章表現力をどこまでも高めたい。
しばらくはブログに集中し、質の向上を目指す。
少しずつ段階を踏みながら「書くこと」の意味を追求していこうと感じた。
プラチナ万年筆 プレジール万年筆0.3細字 ブラック PGB-1000#1-2
- 出版社/メーカー: プラチナ萬年筆
- メディア: オフィス用品
- クリック: 21回
- この商品を含むブログ (3件) を見る