Sunny Sometimes Bipolar Disorder

躁鬱病(双極性障害)筆者の日々を綴ります。連絡はTwitterまで!Twitter@hattix0828

Sunny Sometimes Bipolar Disorder

叔父との不和を書く

今朝、叔父が喉頭がんであることをオカンから知らされた


「俺は、なんとも思わないな」
と応えたところ
「そんなこというもんじゃない」
と言われた。
僕の叔父への無関心には理由がある。

躁病からの安請け合い

その時、僕は躁病のまっただ中だった。1年近く躁の状態だった。
というのは、そのときはまだ、うつ病の診断であったからだ。トレドミンを飲んでいた。
あるとき、自営業をしている叔父から簡単な事務仕事を頼まれた。仕事を頼まれたのは初めてだった。躁である僕は得意気に仕事を請け負った。
だが、季節が悪かった。
丁度春だったのである。春は「5月病」があるように、精神が不安定になりやすい。
仕事に手を付ける間もなく、僕はひどい鬱の期間に入ってしまった。当然、何もかもやる気が起きない。かといって期待を裏切るわけにもいかず、調子の良い日をみつけては一気にやってしまおうと思っていた。
けれども、調子のよい日がくるまえに、仕事の締め切りになってしまった。

 

言い訳をせずに謝る


「できないのなら持ってきてくれ」
という話になった。
「こうなっては仕方がない、真摯に謝るとこにしよう」
と腹をくくった。「うつでできなかった」と言っても理解されないことは分かっていたので言うつもりはない。
叔父は早稲田大学出身の秀才だった。
暗い表情で仕事の書類を持っていく。突然、叔父はいった
「これで、俺とお前の縁はなくなったと思え」
何を言い出すのかと思った。叔父は激昂しやすい性格であった。
「これだから、お前のような顔のヤツは嫌いだ」
と続けざまに吐く。

 

悪口の天才


実は、秀才の頭脳は「悪口の天才」というカタチでこの人物に備わっていた。親族の間で、口の悪さは有名であった。
仕事が出来なかったので、場の空気を考えると、僕が反論するわけにはいかない。
それをよしとして、巧みな悪口で僕の人格攻撃をはじめた。
ただの悪口なら良かった。しかし、相手は悪口の天才である。
「お前はそうやって何人ものヒトを裏切ってきたんじゃないのか」
この一言は今でも忘れられない。ズバリ当たっていた。「躁で友だちが増えて、うつで友だちが減る」といったサイクルを繰り返していて、これには自分で嫌気がさしていたところだった。
悪口の天才は延々と人格への悪口を吐き続けていた。
どうやら「自分は裏切られた」という。被害者意識があるらしく、その一点で激しく怒っていた。
秀才の発する悪口は度を超えていた。僕の容姿のことまで攻撃するのである。言葉扱いが妙に利口で心にグサグサくる。
もう一度言うがこの時、僕はひどいうつで苦しんでいた。
そこへ凄まじい人格否定を1時間ほど受けるのである。
その後は、うつのひどさが異常なまでに膨れ上がっていた。

 

希死念慮の出現


希死念慮(自殺願望)が現れて、首を吊る場所を決めた。近所の雑木林の木だ。ヒトの出入りががなく、死ぬまで発見されないだろう。
ここで、行動に移せば死ねるのだが、僕は最後の悪あがきをした。まずは「いのちの電話協会」といったところへ電話をしていた。
心の底にはまだ生への希望があったのだ。
「いのちの電話協会」は、僕の話を熱心に聞いてくれて、心を落ち着かせてくれた。そして、医者へ行けという。
医者に嘘を言っても仕方がない。恥ずかしげもなく
「死にたいのですがどうすればよいのでしょうか」といった内容で電話をした。
「至急来るように」と言われ、素直にそうした。
病院につくと、すぐに液体の鎮静剤が出てきた。
薬品名は忘れた。おそらく即効性のある精神安定剤と思われる。効き目は早く、薬効のおかげで僕は落ち着きはじめた。

 

君はうつ病ではない


そうして問診の時間がくる。医師は
「君は躁うつ病だ」
と述べた。この時、はじめて躁うつ病という病名を訊いた。
クスリの内容がガラリと変わった。抗うつ剤はなくなり、ジプレキサというクスリがメインとなった。
液体の精神安定剤がおどろくほど効いて、死ぬ気はどこかへいってしまった。それから3年後が今の僕である。
以上が、叔父との不和であり、躁うつ病発症の話だ。
僕が喉頭がんである叔父に同情できない理由はそこにある。
ただ、皮肉にも躁うつ病が明らかになったという点は、怪我の功名といわざるをえない。

以下日記

 

お昼になった。今日も朝からスタバにいる。
昼食を注文するついでに、店員さんと話をした。相手は親しみを込めた仕草でそつない質問をしてきた。
すると、普段からやりとりしている言葉が丁寧語から、すこし訛りのある言葉へ変わった。「何をいつもしてはるんですか?」といった具合だ。
僕の住む地域は関西地方なのでこういったニュアンスになる。
僕はその訛りのある丁寧語に僅かだが安心感が湧いた。距離が縮まったように感じた。

テリヤキチキンサンドイッチを食べながらふと気づいた。
僕は一度に2つ以上のことを同時にやっていたい。そういった集中力の使い方をしたい。
今も昼食をとりながら日記を書いている。
そういった性格から、現在の仕事の退屈さは、自分にとって過剰なまでのストレスに成りうるのだけれど、不思議と、そこまでのストレスを感じない。仕事への心構えがそうしているのか、もしくは見えないストレスが溜まっているのかは、まだ仕事を初めて浅いので分からない。

午前中で坂の上の雲第2巻を読み終えた。
どうも優れた文章を読んでいると、それを真似したくなる。今日の文章は、司馬遼太郎の影響を多分に受けているだろう。
坂の上の雲を読んでいると不意に涙がでてくる。
泣くところは何もないのに、歴史の壮大さに涙が出てくる。それを文章で表している素晴らしさに感動する。僕は涙もろい。
図書館で借りてきたのは、坂の上の雲、1,2巻と義経(司馬遼太郎著)なのでこれから気分を変えて義経を読もうと思う。

カフェというのは午後3時位に客入りがピークになる。長居していると分かる。丁度昼食が終わる時間から、コーヒーやスイーツを求めて人々がやってくる。店内の掲示板に「ピーク時は席を譲り合って利用して下さい」という張り紙がしてあった。
午後2時頃、店内の混雑度は100%になった。
朝からいるのは僕ひとり。席を譲ることにした。

家に帰り、湿気に耐えかねてエアコンを入れる。
小説ばかりよんでいて頭が痛くなってきたので、
ホンモノの文章力―自分を売り込む技術 (2000年 樋口 裕一)
という本を読んだ。エッセイ・作文の書き方という項目があったので、僕の日記に生かせないかと考えたのだ。
しかし、どうも頭に入ってこない。
樋口裕一という方は、文章力の本ばかり書いている、いわば専門家だ。
かろうじて覚えている部分といえば。
ただ雨が降ったと書くより、しとしとと雨が降りだした。と書いたほうが面白いといったことだった。後は比喩を用いてみるといいという。
とにかく、しっくりこなかった。
せめて、こうやって公開している日記くらいは、表現力豊かなものにしたいものだ。

 

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)